仕事の場面ではオリジナリティがなくてもよい場合が多い
キャリアを積んで行く過程で、「オリジナリティ」という言葉に憧れを持ち、それを追求する思考を持つ人もいるでしょう。仕事の内容によって、例えば、大学で働くアカデミックの世界の研究者の場合は、それがないと、研究が認められないので、必須のものになります。しかしながら、そうではない職種の場合、多くは、オリジナリティは必ずしも必要ありません。もちろん、オリジナリティが出てこれば、他との差別化要因になるので、需要があるという前提ならば、それは、非常に良いことだとは思います。
しかしながら、オリジナリティは、そう滅多に出てくるようなものではないので、それがないと駄目だという思考でいると、結局、何も実行せずに終わる可能性があります。
仕事の場面では、効果があれば十分なことが多いので、それが真似であっても、全然構いません。もちろん、著作権のような法的な権利があるものを真似する場合には、事前に許可を得ておく必要があるのは、当然のことです。
モノづくりの世界でも、ある独自性の高い商品がヒットしたのを見て、それを改良した性能や品質を改良したものを低価格で後から出していくことによって、最初の商品よりも大きなヒットに繋げるというようなケースは沢山あります。
通常のビジネスの場面では、オリジナリティよりも売れることが、まず、第一ですので、それでよいのだと思います。
オリジナリティは改善・改良の結果生まれるものです
通常のビジネスの場面でも、一度成功したものを改善・改良を重ねてブラッシュアップしていき、よりよいものへ進化させていくことは当たり前のように行われると思います。オリジナリティは、その過程で結果として生まれるもので、オリジナリティを出すことを目的にするようなものではないと思います。
独創性やオリジナリティは、沢山のアイデアを出して試行錯誤の果てに、何かしらのきっかけで偶然出てくるようなものです。才能というよりも、それに傾けた情熱の総量がもたらすご褒美のようなものなのかしれないですね。
したがいまして、独創性やオリジナリティを追求するのではなく、製品やサービスを受けとる相手の人達にとって、どのようなものが最善なのかを追求することが必要なのではないかと思います。
自分の能力開発の過程でオリジナリティを追求するのは必要なことです
しかしながら、自分の能力開発を行う場合は、オリジナリティ追求する思考が非常に重要だと思います。
例えば、自宅で勉強の一環として、新しい企画案を考えて見る時に、仕事の場面で考える現実性の高い企画ではなく、突拍子もないとがった企画を考えてみるようなことは、その時点の自分の殻を破る思考に繋がる可能性があるので、非常によい試みだと思います。
つまり、発想力を鍛えるトレーニングになるのです。
仕事の場面では、制約条件を明確に洗い出し、その条件を満たす形で企画案を考えることが多いと思います。その制約条件をなくして、条件の緩い企画案を自由に沢山考えてみるのです。ある意味、妄想に近くなるかもしれませんが、自分の発想力を伸ばすためのトレーニングなので、それでよいのだと思います。
そして、その企画をブラッシュアップしていく過程で、様々な情報を収集するようにしてみると、普段の自分では触れないような情報に触れることができるので、自己啓発としては、非常に良いことだと思います。
個人的な経験としては、以下の記事で書いたキャリアチェンジをした時に、それまでに取り組んだ経験のない「研究」を行う過程で、同じ趣旨のことを経験し、それが、その後の仕事の能力の向上に大きく貢献したことがあります。研究のアイデアを考える過程が、まさに、同じようなプロセスなのです。
そのような自由に考えるプロセスを意識的に行うことにより、凝り固まった頭を柔軟に使えるようにすることで、大きな能力開発に繋がるのです。何もしないと、人の発想は段々と固定化されていってしまうので、そこから意識的に出る、つまり、自由に視点を変えることが出来るようになると、日々の仕事でも、沢山のアイデアが出てくるようになってくると思います。