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私がシステムエンジニアから大学教員へ進路を変更したときに考えたこと(2)

博士課程に入学後の考え方・行動のコペルニクス的な転換

 

下記の前回の記事で、サードドアに入ってくと、人生が大きく変わる可能性があるということをお伝えしました。

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試行錯誤してサードドアに入ると、そこがバラ色の世界で、良いことだらけの毎日が待っていると思う人もいるかもしれませんが、そのような場合は稀で、やはり、それほど世の中は甘くありません。

 

私の場合は、むしろその逆で、課題だらけ、問題だらけの毎日が待っていました。多額の授業料を支払って入学しましたので、このチャンスを何とかものにしたいと思っていましたが、大学院の博士課程で何をするのかもよく分かっておらず、最初は、授業を受けて勉強するという学部学生の頃の延長線上のイメージをしていました。

 

しかしながら、入学してすぐ分かったことは、博士課程は、「自分でアイデアを出して研究を進める場」、つまり、「結果を出す場」ということでした。授業料を支払って、結果を出す場ということに当時は違和感を覚えましたが、授業料は、その研究プロセスの中で、行き詰った場合や方向性が良いと思えない場合などに、客観的なアドバイスを受けるための指導料ということでした。

 

博士課程は、お金を支払いながら、「研究」という仕事をする場だったのです

 

それを知った時には、何という厳しい世界なのだと思いました。企業で働く場面だと、最初のうちは、上司の指示があって、その指示を満たすように行動していくというプロセスが殆どなので、基本的には、自分で何をやるのかを考える必要がありません。

 

もう少し、突っ込んだ言い方をすると、お金を貰いながら仕事の初歩の勉強をしているということです

 

その経験があったので、甘えの気持ちを捨てきれおらずに、「厳しさ」を感じたかもしれません。

 

当時は、システムエンジニア時代の激務を経験していたので、それなりに仕事が出来る気になっていたのですが、何もない所から自分で考えて行動を起こし、見通しを立てながら物事を進めていく経験がこれまで1度もなかったことに、ようやく気が付きました

 

学生時代は、部活動を選んでスポーツ活動をする、あるいは、ある年齢になったら受験し、就活を行って企業に入社する。企業への入社後は、上司から与えられた仕事をこなす方法を自分で考えて行うというような感じで、「選択する経験」は沢山あっても、「何もない所から自分で発案して行動する経験」がなかったのです。

 

ところが、博士課程の学生は、何をするのか、つまり、テーマの設定から自分で行い、研究を、基本的には、自分一人で独立した状態で考えて進めていきます。それまでの自分の考え方からすると、到底考えられないような世界でした。考え方・行動の仕方を180度変えていく必要がありました。

 

今思えば、細かな専門知識を沢山得られたことよりも、自分の考え方・行動の仕方を根本から変えることが出来たことが、博士課程に入学して一番良かったことだと思います。研究以外のすべての仕事、あるいは、仕事の場面以外での考え方・行動の仕方も大きく変わりました。

 

しかしながら、当時は、そんなことを考える余裕も全くなく、とにかく、まずは、何らかのアクションを起こさなければという焦りの気持ちが強かったと記憶しています。

 

アイデアを出す生みの苦しみ

 

博士課程での研究で、最初に行ったことは、研究のテーマを決めることでした。これが一番難しかったことです。当時は、何もない所から発案していく経験がなかったので、発案すること自体がどの様にすれば出来るのかが全く分かりませんでした。

 

研究の世界では、世の中の大きな問題を解決することを考えていって、研究テーマを設定するというやり方をとる場合が多いですが、それは、研究経験のある「ある一定の力を持った研究者」しかできないことです。

 

当時の私は、当然ながら研究経験もなく、そもそも「研究」ということが何をすることなのかもわかっていない状態でしたので、自分の仕事経験の範囲の分野で、何か新しいアイデアを出せないかを考えてみることにしました。その過程で、他の研究論文を沢山読みながら、テーマを自分なりに沢山だしてみることにしました。

 

このプロセスは、非常に大変でしたが、今思えば、このプロセスがあったことで、その後の自分が大きく変わったのだと思います。

 

このテーマ出しのプロセスで、初めは、到底研究とは言えない「システムエンジニアとしての情報システムの企画」のようなテーマばかり出していました。それが、その時点での自分の能力の限界でした。

 

そこで、先程説明しましたように、他の研究者の論文を沢山読んでみて、「研究とは何か?」あるいは、「どういう内容なら研究になるのか?」ということを探りながら、テーマを考えることにしました。

 

そうこうするうちに、少しずつ、研究テーマらしきものを出せるようになってきました。このような形で、3カ月程、日中の仕事をした後に、明け方まで、睡眠時間が2~3時間くらいでひたすらアイデアを出し続けました。

 

出したアイデアは、細かいものを含めると、数百~一千くらいになったと思います。そうこうするうちに、今の研究テーマの原型となるもの、アイデアと呼ぶにはあまりにも拙いものでしたが、そのアイデアを思いつきました。

 

アイデアを出している時は、夢中になっていたので、あっという間に朝がきて、窓の空が明るくなっていたということもよくありました。今考えると、セオリーを無視した、あまりにも無謀なやり方をしていましたが、その当時は、それしか方法が思いつかなかったので、ありったけのエネルギーを投入して、自分のすべてを賭けて挑戦をしました。

 

しかし、今思えば、その時は、とても充実した楽しい時間でした。もちろん、映画を見て楽しむ場合の「楽しい」ではなく、仕事やスポーツに取り組む過程で感じする「充実感」や「目標に向かっている時のワクワク感」が複雑に入り混じった「あの感情」です。

 

全く未経験の分野にチャレンジする場合は、そのようなものかもしれませんね!(笑)

 

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