自分の性格や適性を元にした就職の選択
以下の記事で、文系の学部に属している人でも、システムエンジニアとして十分に活躍できる人は多い点を書かせて頂きました。
私自身も、実は、文系と理系の中間的な学部に所属していて、IT技術を殆ど勉強したことがない程度で、システムエンジニアの領域で就職しました。
就職先としては、大手企業の本社ではなく100%システムエンジニアになることが出来る子会社の方をあえて選択し、職種や勤務地などを固定できない本社企業は、受験もしませんでした。
当時、このような選択をする学生は殆どいませんので、変わった人だなと思われたと思います。これは、私自身の性格、具体的には、自分の人生を他の人や組織によってコントロールされるのではなく、自分の手でコントロールしたいという点が大きく影響した選択でした。当時は、社会の仕組みなどをあまりよく理解していなかったこともあり、このような思い切った選択をしました。
長期的には、この選択は良かったと思います。(ただ、短期的には、後悔の念を持ったことも多々あり、人生の難しい側面です。)
私自身は、専門分野を持ち、それを基軸として道を開く人生が自分に合っていると思いましたので、その考えを元に、自分の専門分野として理系の分野の方が適していると考えましたので、そのような選択をしました。(元々、高校のクラスは理系のクラスで、陸上に全面的に取り組みたいという想いでスポーツ系の学部に進学しましたが、人生を長期的に関考えた時に理系分野の職に就こうと考えました。)
人によっては、反対の大きな会社の中で働き続けることを選択する人もいると思いますし、それはそれで、後悔がなければよい選択であると思います。
社会人の最初の3年間の経験
社会人の最初の3年間は、非常に重要な時期だと思います。私の就職した頃のシステムエンジニアは、激務の代表例のような職種だったので、とにかく沢山の仕事を訳も分からず、全力で行っていた記憶しかありません。ITスキルが全く何もない状態、パソコンの操作の必修の授業を1科目受けていたことと、卒業論文で初めてWordを使った長文の文書を作成したこと以外は、何も勉強したことがなく、その授業も、何故かMACのPCを利用するものでしたので、WindowsのPCを渡された時には、よく分かりませんでした。
当時のシステムエンジニアの業界は、このような人も珍しくなく、私自身も、とにかく働くしかないと思い、がむしゃらに働いていました。
勤務時間も非常に多く、残業が月に100時間を超えるのが普通で、200時間を超えていた時期もあります。今の時代の過労死の基準である80時間は、非常に少ない月の時間数でした。
その当時の働き方が、私の基準となっていますので、年齢が大分上がった今の働き方は、どうしても当時との比較で考えますので、かなり楽に感じています。時間数的には。
若い頃は、体力が有り余っているので、自分の限界を知る上でも、沢山働いて良かったと思います。今の時代は、そのような働き方は許される時代ではないので、そのような経験を出来ない若い世代は、ある意味、可哀そうな面もあると思います。
自分の限界を知り、社会人としての考え方の基礎を身につける時期に、沢山働くことは、その後の長い人生を考えると、非常に有難かった経験でした。
自分の活動のキャパシティを決めることになる時期に、自分の中に厳しい基準が作られて、それ以降、大変な状況になっても、その時の経験に比べたらたいしたことがないと思えることが多かったので、大きなアドバンテージになったと思います。
もちろん、技術的に学ぶことも沢山あったので、その点もよかったと思います。