自分の人生を意識的に選択する人は少ない
自分の人生を明確な意思を持って選択している人は、どのくらいいるでしょうか?案外、自分ではそうしているつもりでも、突き詰めて考えてみると、そうではなかったことに気づく人が多いと思います。
例えば、義務教育を終えて、高校・大学へ進むかどうかは、周囲が皆そうしているので、最初から進むという前提で、どこに行くかを考えたのではないでしょうか?私自身も、そうでしたが、それは、自分の意思で選択することをするようになって初めて気が付いたことです。それまでは、何事も自分で考えて決めたつもりでしたが、じつはそうではなかったのです。
自分が本当の意味で、自分の足で立って生きるためには、最終的には、自分の手で仕事をしなければならなくなりますので、そうならない間は、きっと思い通りにならないことにフラストレーションをためるようになっていくのだと思います。
ですので、突き詰めて考えることが必ずしも良いかどうかは、他の人が口出しを出来ることではなく、自分で決めるということなのだと思います。そうして、初めて、自分の人生に対して、当事者意識を持つことができるのだと思います。
人生の終盤は自分で生きてみたい
私自身、人生の終盤を少し意識するようになる年齢になってきたので、生きている間に、自分で生きているという実感を持ってみたいと年々思うようになってきております。それが、良いことなのかどうか分かりませんが、年々、そう思ってきております。
そこで何をやってみたいかというと、やはり、新設大学を創るということでした。これまでの人生の全ての経験をつぎ込んで、チャレンジする人をステップアップさせる大学を創り、この日本を新たに作り変えることに貢献できる人を育成したいと思います。
もちろん、首に縄をつけてするようなものではなく、個人の人生をよりよくしていく結果として、大きな目標を掲げて、チャレンジしていく器の大きな人の育成です。育成といっているのは、人間は後天的に学ぶことでいくらでも成長でき、どのようにでもなっていける可能性を秘めているからです。