理屈で考えることは、目に見える範囲だけ
次に自分が行うべきことを考える時には、まず、目に見える範囲の情報を集めて、その情報を参考になしがなら、出来そうかどうかを考えると思います。しかしながら、そのやり方ですと、非常に狭い範囲のことしか出来ると思えないので、小さなステップを踏んでいくやり方になります。
もちろん、普段の場合には、その方法でも着実に進んでいくので、それでOKだと思います。やるかやらないかを悩み、時間が過ぎていく状況を長く続けるよりは、全然よいと思いますし、前向きな姿勢だと思います。私も、通常は、そのような意識で、悩む時間を極力なくしていきます。
しかしながら、大きな変化を望む場合には、不確定のリスクを負わないと難しい場合が多いです。理想的なチャンスが目の前に現れて、そのチャンスを掴むことができれば楽な話なのですが、そのようなチャンスは、まず、現れない方がよいと思います。そんなことが出来れば、まったく悩む必要もなく、分かりやすい人生です。
多くの場合、条件的にはあまりよくないけれども、「自分が思う内容がそこにあるが、どうしますか?」というような感じになると思います。ある意味、自分の覚悟を試されるような状況になることが多いと思います。「あなたは、条件ではなく、それ自体が本当にやりたいことですか?」と問われているように、です。
心で感じて判断するしかない
そのような場合には、もう、論理的に考えても判断はできない(論理的に考えたらやらないという判断になる)ので、心で感じて、直観的に判断するしかありません。
私自身は、そのような判断・決断をしたことが、人生で一度だけあります。社会人として働いていた時に、社会人学生として大学院の博士課程に入学した時です。情報の仕事に就いていたものの、大学の学部や修士課程で情報について学んだこともなく、博士課程で何をやるかも分からない、つまり、研究とは何か?ということも分からない状況の中で、時間と費用をかけて成功するのかと、客観的・論理的に考えたら、まず無理というような状況でした。